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ひと騒動(後編)
開会式の準備をしたり、クラス分けを再検討してタイムスケジュールを変更して印刷しなおしたり、走りたい俺にご機嫌ナナメのK.S.R SATO氏に気を使ったりしてあっという間に時間は過ぎる。
競技が始まると結局計時室に入ってラップチェックになった。
4月にしては初夏を思わせる陽気とふっきれずに悶々とした気持ちの中で目の前をマシンが駆け抜けていく・・・・・
座っているととにかく眠い。けたたましい爆音が子守唄に聞こえるほどだった。
「今日は走らないの?」
同じく計時室にいる娘が人の気も知らずに聞いてきた。
「俺が走ったらSATO君帰るんだってさっ!」
「・・・・・・?」
そう、大人の事情が高校生ごときにわかってたまるか!
「そのうちお前もそういう目に合うぜ!」
そんな親として言ってはいけないセリフは胸の奥にしまった。
昼食タイムになって事務的作業も一段落した。
SATO氏が今日の陽気に少しだけ俺に心の開いてくれた。
「午後からなら走ってもイイッすよ」
「マジすか?!」
数回聞き返してとうとう俺はジャージに着替える事が出来た。
うれしい!でも今から気持をどうもって行ったらいいのかわからない
コースマーシャルとして何周かコースを回ってはみたがコースの状況が全く頭に入ってこない。
「こんな日はケガしないようにしよう・・・・」
スタートは追い上げで行く事にした。運よく前に出てしまったら自滅することになりそうだったから。
予定どおり最後尾からのスタートになった。スタート練習全くしてなかったからギヤの上げるタイミングが全く合わなかった。
おかげでちょっとだけ冷静になれたので無理しないように順位を上げる事が出来たのはイイ練習になった。ただ、ラスト一周ですぐ前を走るマシンとどうしてもラインがかぶってしまい抜けきれなかったのは今でも後悔している。そう、この日はどこまでも俺の目の前に幸せをちらつかせては落とし穴で仕留めるような一日だったのだ。
大会は無事終わったが俺の無事はまだ確定していなかった。
娘を仙台まで送って行かなければならない。
彼女は高校生にしてはなかなかの収入を得て機嫌上々で、ぐったりの俺には腹立たしい程だった。
仙台で給油してスーパーで買い物に付き合い俺の財布は更に軽くなる。
気仙沼までの帰り道はいろんな意味で一人さびしくいつもより10分以上も早く着いた。
この寒い日ではなかったが家に着いてコタツに入って気がつくと午前3時だった
風呂にも入らず月曜の朝は会社に行った。
「これでエンデューロの準備が心おきなくできる!」
そう思ったが最近は仕事がキツいので月曜も8時には部屋の床で寝てしまった。
結局そんなんでまたぎっくり腰再発。鼻水の垂れない日の無い日々を過ごしている。
「人生三十にして立つ。四十にして惑わず」
偉い人の言葉を思い出した。
三十歳で立ちそうになったが、四十で腰が曲がった。しかも迷いまくりオプション付きで
そう、現実はそんなもんだ。それでも生きている自分が嫌いになれない・・・・・
あしたもちょっとだけ頑張ろうと思った。